【悲報】私が4才~5才の頃、母が最近胃が痛いんだよね、と言い近くのクリニックに行ったところ・・・

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    78 :名無しさん 2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:ouThfF5O.net

    父子家庭で育ちましたので、書いてみます。

    私が7才の時に、母は癌で亡くなりました。
    私が4才〜5才の頃、母が最近胃が痛いんだよね、と言い近くのクリニックに行ったところ、エコーで影が見つかり、大きい病院で検査をしたら、癌だったそうです。
    そこから、入退院の繰り返しで、母の記憶はあまりありません。
    外泊してきた時、具合が悪そうで夕飯の片付けの途中で寝室に行き休んでいたのを覚えてます。
    母が入院している間は、同居していた祖母が家事から育児などほぼ全てやってくれました。
    祖母には本当に感謝しています。
    父は、自営業で自宅と職場が同じ敷地内にあったので、色々と融通がきき、学校行事とかちゃんと来てくれたし、休みの日はどこかに連れて行ってくれたり、何不自由なく生活できました。
    父にも本当に感謝してます。

    現在は祖母が亡くなり、父と2人暮らしです。

    ざっくりですが、詳細聞きたいところなどあれば、お申し出ください。


    80 :名無しさん 2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:hPVWqCUL.net

    >>78
    お祖母様と伯母様は父方ですか?


    82 :名無しさん 2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:ouThfF5O.net

    >>80
    はい、そうです。
    母方の祖父母は、私が産まれる前に亡くなっております。癌だったそうです。
    母方の叔父も、母が亡くなった後癌で亡くなりました。
    癌家系で、早死にの家系なんだろうと思います。

    父方の祖父も、私が産まれる前に亡くなっております。
    なので、私にとっての祖母は、同居していた祖母だけでしたので、かなりのおばあちゃん子になってしまいました。


    83 :名無しさん 2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:ouThfF5O.net

    追加です。

    私の中の母の記憶は若干あります。
    父に私が怒られた時に、親子丼を作って慰めてくれたこと。
    七五三の着物を反物から吟味して選んでいたこと。
    卒園式と入学式に、外泊してきてかつらを付けて出席してくれたこと。(抗がん剤で髪の毛は抜けてしまっていたそうだが、私の前ではそれは見せていなかった)
    私がお見舞いに行った時に、すぐ飽きてしまい「早く帰りたい」と言った時、淋しいと母が泣いていたこと。
    幼少期の7年間しか一緒に過ごしていないのに、意外と覚えているもんです。

    でも、私は幼かったので、母の病気のことや「死ぬ」ということが何なのかは、全く理解していませんでした。
    なので、母が死んだ時も、大人たちが泣いているのを不思議に思っていたのを覚えています。


    84 :名無しさん 2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:ouThfF5O.net

    さらに追加です。

    過疎化が著しい田舎に暮らしていましたので、私の家は父子家庭であることは、知れ渡っていました。
    そのため、授業参観の時お母さん方に混じって1人自分のお父さんが来ていても、違和感はなかったです。
    5才あたりから、すでにほぼ母のいない生活だったので、自分にとっても母のいない生活が普通と思っていました。


    85 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:DD1DcFRv.net

    立ち入ったことを聞くけど、
    母方がおおかたガンで・・・だと、自分も検診とかまめに通ってる?


    86 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0.net

    >>85
    全然立ち入ってないですよ。

    がん検診はまだやったことがないです。
    市から無料でできるクーポンなど届いたりもするんですが…。

    でも、何か症状があった時(胃が痛いとかお腹の右側だけ痛いとか)は、母のがんを見つけて下さったクリニックに行き、隈無く検査をしてもらいます。
    そのクリニックの先生は、母の告別式にも来てくれたそうで、私が受診すると熱心に診てくださいます。
    定期的に血液検査をして、腫瘍マーカーも調べてもらっています。
    そのおかげか、卵巣嚢腫が早い段階で発見されたりしました。
    今のところがんは大丈夫です。

    しかし、私はどちらかと言うと不健康な方なので、いつ癌になって余命宣告されても悔いのないように、日々意識して過ごしています。
    母が亡くなった年齢まで、私もあと10年を切りました。
    あと10年後、自分の命が当たり前にあるとは思えないです。
    その時後悔しないように生きてるつもりです。


    87 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0.net

    母のいない生活を普通と思って過ごしていた私も、壁にぶつかったことがありました。
    高校に入学して、自分が父子家庭であることを知らない世界に入った時です。
    高校は、母が生前私に行かせたいと言っていた高校に進学しました。
    地元からは少し離れていたので、知ってる人が誰もいない環境でした。
    最初は、自分から「お母さん死んじゃっていないんだ」と話すようにしてました。
    女子ってお母さんの話をよくするじゃないですか。
    それで、私に話を振られた時に困ったからです。
    父子家庭であることを軽い感じで打ち明けると、だいたいその場の雰囲気は固まってました。
    そこで、「あっ父子家庭って普通じゃないんだ」と思いました。
    何も知らない子が当たり前のように、私にお母さんの話を振ってくる時にも、「お母さんて普通は誰にでも当たり前にいるもんなんだ」と思いました。
    それから、お母さんの話を避けられるようになりました。
    「母の日何かあげた?…あっごめん、何でもない」とか言われたりして、悲しかったです。
    母親の話を避けられるのがすごく嫌でした。


    88 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0.net

    高校2年になると、父子家庭であることは隠すようになりました。
    もう知っている人から聞いて私は言ってないけど知っている子もいました。

    三者面談にお父さんが来ると、知らない子は「お母さん仕事で来れなかったの?」と聞かれたりしました。
    「うんそうなんだ」と嘘をついて隠していました。
    いまだに繋がっている高校の友人は、父子家庭であることを知らない子がほとんどです。
    今はもう言うタイミングを完全に逃してしまった感じで…正直に言えばよかったかも、と思うこともあります。
    友人から「私ちゃんからお父さんの話ってよく聞くけどお母さんの話聞かないよね」と言われた時も、そんなことないよ〜と架空の母の話をしたりしてしまいました。
    あとは、祖母の話を母に置き換えて話したり。
    とにかく、父子家庭を打ち明けた時の空気が固まる感じと、無理に話を避けられるのが自分にとっては辛かったです。


    89 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:DD1DcFRv.net

    レスありがとう。

    頼れるお医者さんが近くにいるんだね。
    お母様が亡くなってそれっきりじゃなくて、遺族のことも気にかけてくれるのかぁ。
    いい先生だ。

    そっかー高校は完全に「外」の世界だったんだなー
    架空の母の話は泣けるわ…


    90 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:+v/wHF/I.net

    私ちゃんって表現は生活板では馴染みがないから最初意味が分からなかった。


    91 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0.net

    >>90
    申し訳ありません。ご指摘ありがとうございます。
    “○○ちゃん”の意味で使ってしまいました。


    92 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0.net

    架空の母は、きっと母が生きていたらこうするだろう、こう言うだろう、という想像で話していました。
    母の日も、祖母と家政婦的な伯母にプレゼントしていたので、それを母にあげたことにして言ってました。

    大学に進学して、親元を離れたので、お母さんの話題が出にくくなり、あえて言う必要も隠すこともなくなり、平穏に過ごせました。
    ただ、高校時代の友人関係を教訓に、本当に今後も付き合いが続くであろう信頼できる友人には、父子家庭であることを話すようにしました。

    社会人になり、実家に戻ってきたため、職場で再びお母さんの話題が出るようになりました。
    オバタリアン的な人に、「お母さんは何歳?」とか「家に帰ったらお母さんの作った夕飯あっていいね」とかしょっちゅう言われました。
    年齢は、生きていたら何歳だから…と計算して母の年齢を答えたり、話を合わせていました。
    やはりカミングアウトすると空気が固まってしまい、「失礼なこと言ってごめんなさいね」と謝られたりして、気まずかったです。
    その頃から「どうして自分にはお母さんがいないんだろう」と帰り道泣いたりしました。
    世の中お母さんがいるのは当たり前なのに、何で私のお母さんは死んでしまったの?なぜこの世に「死」があるんだろう、と悶々と考えるようになりました。


    93 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:Pb7GkaM6.net

    >>92
    やっぱり親御さんを早く亡くされた方には気をつかってしまうものだと思うのですが…。
    78さんはどんなふうに接してもらうのが良いですか?
    後学のためにも教えて頂きたいです。


    94 :名無しさん 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:pGVSGJy0.net

    >>93
    気にしないで接してほしいです。
    母親がいないから母親の話は避けようとか思わないで欲しい。
    だって、母が全く存在してなかったわけではないから。
    「生きてる時はどうだった?」とかでもいいから、話を振ってもらって全然かまわないです。
    私の場合は、ですが。
    参考までにm(._.)m

    あと、上から目線になっちゃいますが、当たり前に母親がいると思わずに、母がいることに感謝して大事にしてほしいです。


    質問してくれて、ありがとうございました。
    私はきっと癌になる運命な気がするので、そうなったら癌患者としてまた来ますw


    97 :名無しさん 2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:1uCMliry.net

    >>94
    レスありがとうございます。
    お母様が居るのを装っていたというくだり、人ごととは思えなくて切なかったです。









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